学校に行く意味アイキャッチ

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こんにちは。文章と会話の専門家、放送作家の渡辺龍太(@wr_ryota)です。

 

即応力コーチ・放送作家のワタナビッチこと、渡辺龍太(@wr_ryota)です!

 

今日は、教師やPTAの人が読んだら怒られそうな、爆弾を落としたいと思います。

 

実は最近、「学校に行く意味が何だと思いますか?」という質問メールが届きました。

 

ブログをやっていると、想定外な質問が来るものです。

 

メールには書いてありませんでしたが、中学生か高校生ぐらいの方からのメールなんでしょう。

 

 とはいっても、このブログ(私)は、相手が子供だろうと容赦しません(笑) 

 

ハッキリ言わせてもらいます!

 

学校に行く意味を、クドクド考えるヤツは馬鹿です!

 

そして、今、『あー、このブログの筆者は、学校には有無を言わずに行くべきと考えてるんだな』と、勝手に解釈した人は、もっと馬鹿なんじゃないかと思います。

 

そう言い切るためにも、今回は、『学校に行く意味』を深く考えてみたいと思います。



 

『学校に行く意味』を考える前に、学校の存在理由を考える

まず、学校に行く意味を考えるために、どうして『学校』が存在しているのかを考えます。

 

小学校から大学まで、色々な学校がありますが、どの学校であろうと基本的には『社会人になった時に必要なスキルを学生に教える』という役割があると思います。

 

確かに、基本的な計算や、漢字を知らなくては、社会人としてお金を稼ぐのは難しいでしょう。

 

しかし、一生懸命、『学校は社会人になるために必要な事を教えてくれるんだ』と理解しようとしても、ちょっと考えると2つの疑問が生まれると思います。

 

一つは、学校でなくても、社会人にとって必要な知識は得ることが出来る点です。

 

そして、もう一つは、学校で教えている事が、必ずしも社会人になってから、役に立つわけではないという点です。

 

きっと、多くの学生が、その2つの疑問にぶち当たった時、改めて、『学校に行く意味あるの?』という疑問が頭に湧いてしまうのでしょう。

 

そして、いくら考えても、その答えが出せずに、モンモンとしてしまうのです。

 

 

『学校に行く意味』に答えが出せない人が多い理由

では、なぜ、多くの学生が『学校に行く意味』を深く考えても、その答えが出ないのでしょうか。

 

それには、ものすごく単純明快な理由があります。

 

学校というのは、社会人になるための、分類できないほどの『道具』の集合体だからです。

 

しかも、社会人という定義は曖昧で、ものすごく幅広い意味を含んでいますよね。

 

主婦、野球選手、サラリーマン、フリーター、芸能人、と、全ての職業で働く人が『社会人』です。

 

そしてまた、『学校で教わる事』という定義もあいまいで、ものすごく広い意味を含みます。

 

読み書き算盤から、ラジオ体操、人間関係、集団生活、とか、もう例を挙げだしたら、キリがないほどです。

 

 それを踏まえて、『学校に行く意味はあるの?』という質問を、誰も言わないレベルの正確な表現に言い換えてみると・・・!?

 

『ありとあらゆる職業につくためには、ありとあらゆる事を学ぶ事に意味があるの?』と、なってしまうでしょう。 

 

そう聞かれたら、Yesの気持ちが9割だけど、Noの気持ちが1割という微妙な気持ちになりますよね。

 

だから、『学校に行く意味』を考えても結論が出せずに、悩み込んでしまうのです。



 

『学校に行く意味』に答えを出す方法

『学校に行く意味』が分からなくなる理由がわかった所で、自分なりに、その理由を見つける方法をお伝えします。

 

分かりやすくすために、『学校』を『刃物』に置き換えて、『刃物の意味』を考えてみましょう。

※この置き換えだけで、生理的に嫌な教育関係者もいそうですね(笑)

 

さて、刃物は物を切るための道具で、『物』も『刃物』も様々な意味を持っています。

 

先程のように、これを誰も言わないレベルの正確な表現で、『刃物の意味は何?』を言い換えてみると・・・!?

 

『ありとあらゆる物を切るのに、ありとあらゆる刃物は必要?』という質問になるはずです。

 

こんな質問をされても、意味が広すぎて、Yes Noで答えるの難しいですよね。

 

だから、大概の人は、こんな変な質問をされたら『具体的に何を切るの?それを教えてくれなきゃ答えられないよ』と、返答すると思います。

 

そして、何を切るのか答えをくれれば、『刺し身を切りたい→刃物は必要』とか、『レタスを切りたい→刃物は無くてもOK』とか、即答できますよね。

 

『学校に行く意味』に答えを出すためにも、これと同じ思考プロセスを辿りましょう。

 

『学校の意味は何?』で、刃物における『何を切るのか?』に値するのは、『将来、何をするのか?』ですよね。

 

つまり、『学校に行く意味』に答えを出したかったら、自分が将来何をするのかというビジョンが無くては、絶対に答えは出ないのです。

 

将来のビジョンが決定したら、学校に行く意味が、一瞬で分かります。

 

将来のビジョン 学校に行く意味
医者になりたい 医学部を出ないと医者になれない
サラリーマンになりたい 良い学校に行っていると良い給料が得やすい
お笑い芸人になりたい 必ずしも学校に行く意味はない

 

例は3つしか書きませんでしたが、職業の数だけ、『学校に行く意味』は違う意味になっていくはずです。

 

とはいえ、『学校に行く意味は!?』と考え込んでいる、大半の学生は将来のビジョンなんて自分の中で固まっていないでしょう。

 

そういう場合は、どうなるかを表にして考えす。

将来のビジョン 学校に行く意味
まだ決まっていない 学校に行く事で有利になる職業に就く場合に役に立つ

 

もう、これ以上、これ以下でも無いはずです。

 

 要するに、『学校に行く意味は!?』という疑問の答えは、『人、それぞれ。』でしかないのです。 

 

 

『学校に行く意味』の最後の疑問
何で役に立たなそうな知識を学ぶのか!?

今までの考え方で疑問が解消した人もいるでしょう。

 

しかし、『大人になって必要なさそうな事を学ぶのは何で?』という意味合いで、学校の意味にまだ疑問を持っている人もいるでしょう。

 

例えば、『古文の文法』とか、『世界史の年号の暗記』とかは、学生を終えたら、一生使う機会がない人が大半なのに、覚える意味が分かりませんよね。

 

でも、それにも明確な理由があります。

 

企業が誰かを採用する場合、なるべく会社にとって『使える人』を採用したいわけです。

 

しかし、企業は全ての人を、1年ぐらい試しに採用してみて、才能があるかどうか、じっくり見極めるというような事は出来ません。

 

だから、『仕事が出切る可能性が高い人』を、何らかの基準で見極めて採用するわけです。

 

そして、今の世の中では、それを見分ける尺度が『学歴』となっていので、『学歴が重要→学校に行く意味がある』という事になります。

 

その学歴という尺度で、必ずしも正確に『会社に入ってから優秀か』を図る事は出来ませんが、他の尺度が存在しないので、現代の社会では重宝されています。

 

だから、企業に気に入られる人材になりたいなら、『古文が将来役に立つか』と考える事に意味はなく、古文をやっておくと有利になるというだけの話です。

 

これも別の例で考えてみましょう。

 

教育と考えると、自分にとって役に立つかとか、そういう部分ばかりに目が言ってしまいます。

 

しかし、例えば『超優良企業にコネで就職させてくれる、猫好きのオバサン』という人がいたとします。

 

恐らく、そのオバサンに本気で就職のお世話をして欲しいと思ったら、自分の将来に役に立つかは関係なく『話を合わせるために、猫に詳しくなろう!』と思いますよね。

 

 要するに、古文とか世界史の年号のような、将来役に立つとも思えない知識を学ぶのは、自分を雇う可能性のある企業に気に入られるために、媚を売っているだけの行為なのです。 

 

ハッキリ言って、将来、その知識が役に立つかどうかなんて、考える事自体が無意味です。

 

ゴリラに向かって『胸をボコボコ鳴らすのが上手な雄がモテるらしいけど、何で、それの何が魅力的なの?』って聞いて、腑に落ちる答えが返ってくると思うぐらい愚かです。

 

という訳で、今回も世の中を相当斜めに見ている大人として、私なりに『学校に行く意味』を考えてみました。

 

子供に有害な意見だと、教育関係者からは怒られそうですが、私なりには深く考えたことなので、今回も爆弾を落とさせていただきました!