制作会社のアルバイトの人とか、趣味のスポーツなどを通じて、学生の人と接する機会が、時々あります。
そういう時、とても深刻な顔をして、「ちょっといいですか?渡辺さんは就活ってどうしたんですか」とか、就活について聞かれる事があります。
恐らく、私は放送作家という特殊な職業をしているので、何か目新しい情報は無いかって思うんでしょうね。
だから、私は特殊な職業を選んだ経験を、正直に、自分の思ったままに伝えています。
就活の悩みが絶対に解消されない理由①
誰にも未来は予測できない
私は何社も企業を回るような、そういう就職活動はした事がありません。
その代わり、毎年、まるで就職活動をしているように、新しい番組や、新しい出版プロジェクトなどを探しています。
だから、ちょっと学生の皆さんの言う就活とは、ちょっとニュアンスが違うのかもしれませんが、私は絶対に就活の悩みって解消できないと思うんです。
就活生の悩みは未来が読めない事
就活生の悩みを聞いていると、たいてい、どの会社に勤めると、どういう未来があるのかというのを知りたがっている感じです。
あるいは、ITやクリエイター系の人は、いきなりフリーランスや起業に挑戦した場合、自分の人生がどうなるのかと予測できずに悩んでいるように見えます。
でも、誰も未来の事なんて、正確に予測できる人がいないと思うんです。
私も社会人になってから、何本かの番組に関わってきました。
駆け出しの放送作家が新しい番組で働き出すっていうのは、プチ転職みたいなものだと理解してください。
自分の事を雇ってくれそうな、ディレクターやプロデューサーに何人も有って、仕事をもらえるように人間関係を構築します。
その後、その番組の実力者と顔合わせ(面接)的なものがあり、サンプル原稿などをタダ働きに近い形で作ります。
そして、本格的に番組で働き出すのです。
そういうプロセスを経て、常に思うのが、仕事は実際にやってみないと、仕事内容も職場環境も全くわからないという事です。
面白そうだと思ってワクワクして新番組に関わったのに、何回かやったら、すぐに飽きてきてしまうケース。
あるいは、楽しくなさそうだけど、お金の為に頑張ろうと思ったら、実はとっても楽しくて為になる仕事だったケース。
他にも、ギャラが安くて経験になればと始めた、激安の仕事が、急にギャラが上がってウハウハになるなど、色々ありました。
高校や大学の説明会を思い出してみれば良い
恐らく、就活ですごく悩んでいる人って、高校や大学に進学する時も、それなりに悩んだ心配性タイプだと思います。
だから、多くの人が、高校や大学の学校説明会に参加して、どの学校に進学するかを入念に考えたと思います。
しかし、実際に学校に入学してみたらどうでしょうか?
恐らく、学校の説明会で分かったのは、学校の場所やカリキュラムなどだけでだったと感じている人も多いでしょう。
それも、そのはずで、例えば、学校生活なんて同じクラスに偶然配属された人たちに、あまり溶け込めなかったというだけで全く変わりますよね。
それを、進学の為の学校説明会から察知する事なんて、ほぼ無理な話だと思います。
仕事をするというのも、そういったもので、誰と出会うかとか、そんなのは外部から見えている情報だけじゃ判別不能だと思うんです。
大手企業の未来も誰も予測できない
もちろん、私の体験している1つの番組の良し悪しなんて、大手企業の就職に比べたら小さなプロジェクトだと思います。
でも、根本は一緒じゃないでしょうか?
例えば、山一証券、拓銀、JAL、フジテレビとか、様々な会社が、過去に大きなトラブルを抱えて、会社がなくなったり大幅な減給になったりしました。
では、それを完全に読みきっていた人はいるのかといえば、一般社会人、メディア、政治家、社員含め、ほとんどいなかったと思います。
というか、いなかったからこそ、社会的に大きなニュースになったのでしょう。
そうなった時、多くの学生の人は、その読めない未来を何とかして、出来るだけ正確な未来予測に近づこうとしている気がします。
でも、こういう現実の世界は学校の勉強とは違い、誰に聞こうが、誰も正解を知らないので、未来の状態を正確に知る事はどうやっても無理です。
だから、「未来は読めない」という前提で、人生設計を考えるしかないんだと思うんです。
就活の悩みが絶対に解消されない理由②
自分の才能は自分でも分からない
そうやって、未来を予測する事をやめた時、何をすべきかというと、眼の前にある事や人に敏感になるという事です。
学生時代までは、多かれ少なかれ、学校の先生も、塾の先生も、両親も生徒に親身になって、生徒の立場に立って物事を考えてくれていたと思います。
しかし、大学生ぐらいになると必ずしもそうではなく、例え、相手が大学生でも、お金を払うお客さんとしてしか見ていないケースも増えてくると思います。
だから、最低限、自分について、ある程度、把握した上で行動していかないと、大人のカモにされてしまうと思います。
そして、就活生が必要以上に悩んでいるのも、そこに大きな原因があるように私には見えました。
大学は大手企業の内定をとらせたい
基本的に、大学という機関は、生徒が大手企業の内定を取ってくれた方が得をします。
だから、大学関係者に就活について相談すれば、もう、無意識のうちにでも、大手企業に就職すべきだという方向で話が進んでいくでしょう。
もちろん、中には親身な先生や教授もいて、学生に合うような、優良ベンチャーなどを紹介してくれるかもしれません。
でも、そんなのも話を全部鵜呑みにしてはダメです。
今年、大絶賛していたベンチャー企業の社長を、人間関係でトラブルを抱え、次の年に大批判している大学教授が、いそうか、いなそうかといえば・・・!?
そりゃ、いるだろうなって、感じですよね。
就活斡旋企業などの話も商売
教授だって、そんなもんです。
だから、就職斡旋企業なんて、もっとテキトーだと思った方が良いでしょう。
例えば、テレビ業界は、ほとんど派遣などで成り立っています。
派遣会社の社長なんていい加減な物で、ニコニコしながら「やる気のあるいい子が入ったんです」と言って、やる気のない子を連れてきます。
なんで、そんな事が起きるのかといえば、とりあえず、誰かが派遣として働く事になれば儲かるからです。
それは就職斡旋会社も同じでしょう。
そこを利用して就職ができれば、それで売り上げがあがるわけです。
だから、基本的には「売り上げUP」という方向で話を進めようと思っているというは、当たり前な話ですよね。
要するに、就活斡旋企業の人に「君にピッタリの会社を紹介したい」と言っても、鵜呑みにしてはだめで、最終判断の頼りは自分しかいないのです。
就活や起業セミナーは要注意
あと、私はテレビや本を作っている関係から、やはり、読者や視聴者のモチベーションをコントロールしようとしているコンテンツには敏感です。
そういう目線で見ると、大学生相手に、就活セミナーなどをやっている人というのも、あまり聞く価値のある話をしていないように思います。
就活セミナーの講師が、「誰にでも才能があるのに、それを企業に伝えられていない」といえば、大学生は悩んでしまいますよね。
私に言わせれば、「そうやって、新たな悩みを顧客に植え付けて、リピーターになってもらう作戦とは、先生も上手ですね!」という感じです。
あるいは、やたら起業を学生にすすめるセミナーも、同じような危険性をはらんでいます。
起業をやって成功する人なんて、一握りです。
それを逆手にとれば、すでに起業に興味のある人を大量に集めてセミナーを行えば、誰かしらは起業で成功するのです。
そういう、講師の教える力というより、講師が関わった人の母数が大きかったから成功した人の事を実績として・・・!?
学生が起業するという事をカッコイイことの様なイメージを植え付けて、商売している人の話を聞いても意味はないでしょう。
※もちろん、起業のための会計アプリの使い方とか、そういう知識を得るのは、必要であれば意味はあると思います。
就活の悩みを解消するには、
人生はやり直しが利くものだと信じるしかない
つまり、就活でいくら悩もうと、悩みは絶対に解消しません。
そして、誰だって、大学を卒業するなり、期日になったら働いき始めるので、悩みを克服したかの様に自分自信でも錯覚してしまうのです。
だから、私が就活で悩んでいる人にアドバイスできる事があるなら、まずは、未来を予測しようとしても絶対に無理だから止める事。
そして、話をしている人間が、どこに利害関係があるのかを考えてから、その人の言っている事を理解する事。
最後は、最終的に頼れるのは、自分の考え、好み、カンだったりするので、そこを磨いて、自分の居心地が良い世界を自分で作る努力をする事。
※最低限の面接のマナーとかは知っておいた方がいいとは思います。
最後のはカンの世界は、ちょっと感覚が難しいかもしれないので、ちょっと解説を加えておきます。
真面目に生きてきた人って、自分が何が好きなのかというのも忘れてしまっている人がいるようです。
だから、「本当に自分に向いている職業」と、「世間で良いと言われている職業」との区別が出来てないような人もいます。
少なくとも、自分が本当に興味を持てる事はなんなのかとか、あるいは、本当に嫌なのは何かというのは、自分自身で完全に理解しておくべきでしょう。
そうじゃないと、よく考えたら、起業になんて強い興味はないのに、法人を設立してしまって、面倒な事になってしまうとか、そういう妙な事態に巻き込まれてしまいます。
↑私の周りの人には、学生時代こんな感じになってしまった人が結構います。
ちょっと、最後は抽象的な話になってしまいましたが、人生なんて数学のようにパリッとは答えが出てこないという事でしょう。
もう、抽象的に生きていくしかないと、割り切るしかないのです。